1971年1月に、あんかるわ別号<深夜版>として刊行された松下昇表現集は、北川透氏の熱意と、時代的な好条件により、70年代の前半には、数千部の配布が完了し、以降、古本屋などで、かなりの高価な<本>として存続してきている。
すでに70年代はじめから、北川氏は、表現集の増刷と続編の刊行を提案していたが、私はなかなか気がすすまなかった。その理由の基本は、北川氏が表現集の最後のページの註に記していることに関連するが、私が、ここに収録されたものを含む私の全表現を<前史的表現>とみなしており、その前史性が私個人よりも深い情況性にもとづくであろうという直感もあったために、刊行の持続に何重ものためらいがあったからである。また、「いつか私の前史的表現について、執筆、刊行、転載……のずれを含めて表現するだろう」し、その作業の中で続編についても構想したいと予告しつつも、果てしなく続く表現過程の激動の中で、既刊行のものに対置するという水準では具体化しえなかった。
(略)
表現集も発言集も、私の発案というより、共闘者による、既成の<本>の概念をこえようとする試みであるが、ここには大きい啓示がある。その一つは、表現集の内容が、論文とか小説とかいうジャンルの枠を突破して何かへなだれ落ちる、ないし飛翔する方向性を持っており、<表現>集として辛うじて把握しうる瞬間を示していることであり、もう一つは、例えば<情況への発言>が、マジック・インキで記され、掲示板にはり出されて以降の筆写~何重もの活字化~コピーを含む応用の総体が、表現過程情況を<身体>とみなす場合の<発言>という位相を帯びてしまうことである。
このような表現集や発言集の出現を媒介する意味の総体を、私がかかわってきた全ての<かかれつつあるもの>~<かたられつつあるもの>およびそれらの背後にある領域について応用したい、と願いながらも、(略)
1987年9月から、ある方法的予測にもとづいて、この20年間、私に関してなされてきた批評群の総体を批評集として刊行し、ファックス刷りで配布する過程で、表現集や発言集を読んでいない読者層から、それらの内容に触れたいというという声が出てきており、(略)
しかし、本質的要因としては、批評集という形態を具体化させる情況的一周性が、前述の<前史的表現>の現在までのn次元構造を総体的に止揚しうる表現的一周性と、重なってくる渦動の中に存在すると考えている。
従って、(略)
方法はむしろ逆に、この二〇年間に<松下昇>を媒介して、出現してくる~潜在している表現の膨大な未開示領域へ迫りつつ、各表現の現段階での再構成~展開をしていくためにおこないたい。
私の表現というよりは、<大学闘争>とよばれる世界史的波動の中であふれてきた<表現>や<発言>を、拡散と抑圧を加速する、この現在の偏差系のなかで、遠い夢の組織論の武器として再構成し、その向こうへと跳躍しようとすることなしには、<わたし>の全ての沈黙も許されない、とつぶやきつつ……
1988年8月
松下昇